●建設中の名神高速道路と西浦町
我が家のすぐ北側に名神高速道路が通りました。父は昭和32年生まれの姉や昭和37年生まれの私を、工事現場によく連れて行き、写真を撮っていました。
昭和36年3〜4月頃撮影
当時の西浦町です。まだ一面の田畑でした。煙突が並ぶ遠景は、高度経済成長が始まったことを示しているようです。
東方向を臨む。工事が始まったばかりの頃です。橋脚ができつつあります。
昭和36年10月撮影
土手ができて登って撮りました。西方向を臨む。道路はまだほとんど伸びていないことがわかります。
遠くに比叡山が見えます。高速道路北側の西浦町はまだ一面の田畑でした。
母の大きなお腹の中に私がいる頃です。写真中央の彼方に、当時の京都のランドマークだった大阪ガスのガスタンク(丹波口)が遠望できます。同タンクの跡地は現在、京都高度技術研究所(ASTEM)になっています。昭和39年開業の京都タワーは、まだありませんでした。
東方向を臨む。道路はこちら側にもまだほとんど伸びていないことがわかります。写真中央左寄りに聖母女学院の赤レンガ校舎(元・陸軍第16師団司令部)、中央右寄りの彼方に完成間もない深草中学校の六角校舎の頭が写っています。
昭和37年4月撮影
工事現場から南方向(公務員住宅群)を臨む。左の大きな建物は千種染工です(現在のチグサ建築設計事務所)。
土手はまたこんな状態でした。幼い子供にこんなところを上り下りさせるなんて...(笑)
昭和37年10〜12月撮影
高速道路の北側(西浦町側)でタコ揚げをしています。場所は多分右写真のあたりだと思われます。工事中の土手はシートに覆われていました。中央奥に深草中学校の六角校舎の頭が覗いています。 |
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のどかな時代の西浦町です。
昭和38年5〜6月撮影
栗東IC〜尼崎IC間は、日本最初の都市間高速道路として、昭和38年7月16日に開業しました。この写真は開通する直前の撮影で、後に京都深草バスストップができるあたりです。
東方向を臨む。高速道路を走る1歳の私です。
西方向を臨む。もう工事車両が走っているようですが、私は危なくないのかな。
北方向を臨む。西浦町はまだ一面の田畑でした。
高速道路上でやりたい放題できるのも、開通前ならでは。
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2011年10月1日開設
2011年10月2日最終更新